[科学] 1.コンピュータと人間における間違い

 誰でも少なくとも1回はこれまでにコンピュータのエラーに関する経験をしたことがあるはずだ。銀行の残高が突然379ドルから何百万ドルに跳ね上がったように知らされたり、狂ったようで大げさな名前であなたの住所に慈善事業への寄付金を求める手紙が何度も送られてきたり、デパートが間違った請求書を送りつけたり、公共会社がライフラインの停止を知らせたりする。何とかして誰かに連絡がついて文句を言ったとしても、即座に同じコンピュータから打ち出された、「私たちのコンピュータは異常を来たしていて、あなたの計算書は今調整しています」と書かれた謝罪の手紙を得るだけである。

 それらは本当に予期せぬ事故であると考えられている。間違いは正常な機械の普通の行動の一部であるとは考えられていない。物事が悪い方向に向かえば、それは指で触れたり、いじったり、ボタンが固定されたり、誰かが間違ったキーを押したりした結果であり、個人や人間の間違いである。コンピュータはそれが最高に普通である以上、間違えることはありえないのだ。

 私はこれが本当なのだろうかと不思議に思う。結局、コンピュータ全体の目的は人間の脳の拡張の代理をすることを意味し、限りなく改良されたのだが、それにも関わらず、いや超人的な領域に達してしまったのかも知れない。正常なコンピュータははっきりと素早く考えてあなたにチェスで勝つことができ、複雑な詩を書くようにプログラムされているものさえある。それらは我々ができること全て、またそれ以上のことができるのだ。

 コンピュータが自分の意識を持っているかどうかということはまだ知られておらず、これを解明することは難しいと思われる。巨大な機械のために建てられた巨大なホールに入って立って聴いてみると、かすかなぼんやりとした音が考えている音であり、スプールの回転は情報で喉を詰まらせ、野生の生き物がその目をギョロギョロさせていると容易に想像することが出来る。しかし、本当に考えているかということと、夢に描くということは別の問題である。

 これに対し、私たちと同等の何か無意識のようなものの証明は私たちの周りある。人間の脳の拡張として、コンピュータは同じ間違いをするという特性や、自発的な点、制御できないこと、将来性に富んでいることで構成されている。

 間違いは人間のまさに基礎であり、そこに深くとどまり、根の小さなコブのように構造へ栄養を与えている。もし我々が間違いをする特性を備えていなかったとしたら、我々は何も役に立つようなことを成し遂げられなかっただろう。我々は良いか悪いかの二者択一から選ぶことに沿って方向性を考え、悪いという選択は良いという選択と同じだけ頻繁になくてはならないのだ。我々はこの方法で人生をうまくやっている。我々は、間違いをするように作られたのであり、間違いをするように方向付けられているのだ。

 我々は、我々の言う「試行錯誤」によって学習する。何故いつもそのように言うのか?何故「試行適切」や「試行勝利」ではないのか?古い表現はそれが現実の生活の中でそれがどのようになされてきたかに基づいているのでそのように表現するのだ。

 新しい思考や新しい種類の音楽が成就されようとするときはいつも、事前に議論が行われなくてはならない。同じ考え方で躍起となって2つの側が討論すると、そこにはどちらかが正しく、どちらかが間違いであるという友好的了解が生まれる。遅かれ早かれそのことが決着すれば、もし2つの側がなければ、議論がなければ、全く行動は不可能だ。期待されるものは間違いの才能であり、誤りをする傾向なのだ。情報の山の中から間違いの側へ軽く着地する能力は、人間の最高の性質を象徴しているのである。

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