日本において、集団は個人に優先する。理想的な日本人というものは自分自身の幸福よりも集団の幸福を尊重し、集団の調和を守るために一生懸命になり、個人として目立たないようにするものだ。集団の圧力は、理想的な日本人に控えめで勤勉、個人的意見を表すことに躊躇いがちであるよう仕向ける。「出る杭(釘)は打たれる」ということわざが日本にはある。
この、集団の重要性に主眼点を置くことはたくさんのメリットがある。それは会社や工場が円滑に働くことを助ける。これはチームワークが必須となった高度産業化社会において特に重要である。そしてそれはより低い犯罪率やより少数の訴訟に反映されるように、より規則正しい社会を作り上げる。それは込み合った大きな都市で、人々が仲良く暮らすことを助ける。またそれは日本人個人により一層の安心感や帰属意識をもたらす。
日本では、個人主義は個人の利益を集団の利益の上に位置づけることを意味する。これは利己的で望ましくないと考えられている。しかし西洋では、個人主義は違った意味を持っている。西洋の個人主義は、神と人間は独立していて、それぞれが唯一で重要であるというキリスト教の信条に始まったのだろう。キリスト教は、神に対する愛と仲間の人間に対する愛はどんな集団への忠誠よりも基本的なことであると説いた。各々のキリスト教信者は自分自身の個人的救済手段を探さなくてはならないのだ。
このように、西洋の宗教は初めから個人に初歩的な主眼点が置かれてきた。個人主義はこの種から発展し、政治や経済を含む西洋の生活の全ての領域に広がっていったのだ。例えば、民主主義は個人主義の重要性の信念に基づいている。200年以上前、アメリカ合衆国憲法は国民一人ひとりに、発言や(信仰する)宗教や集会の自由を含む確かな権利を保障した。それは政府が、明確に政府に譲り渡されることのないすべての権利を保有する人々の同意によって存在しているということを表していた。ほとんどの民主主義国における現代の憲法は同じような条項を有している。
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