| 実施年月日:2003年8月30日 |
| 片道距離:40km |
| 参加者:管理人・アシスタント・ライバルサイト運営者J.M氏(計3人) |
目的:(1)とりあえずは遠い所に行こう、と思い立ったから。
(2)上に準じて、日帰り可能なところだったから。
(3)道のりがあまりハードではなさそうだったから。
(4)テスト後の気晴らし。 |
その日は赤口(シャッコウ/シャック)だった・・・
※赤口…六曜の一。大凶の日だが、正午だけは吉。
天気も申し分なく一行は集合場所の某ディスカウントショップ喬木店に集まった。
すでに管理人もアシスタントもJ.M氏も何度かチャリ旅行を重ねており
まさかあんなことが起ころうとは誰が予測できただろうか・・・
各々の「スピード/走行距離メーター」をリセットしたあと、
一行は順調に道を走り始めた。早朝ということもあり車通りが少なかった。
豊丘をしばらく走り万年橋を渡って交差点にでた。
普通なら国道を上っていくと考えていたが、管理人が
『左に行くぞ。』
と言い、少し国道を上ったところで、
左側に流れている小さな川に架かる歩行者用の橋を渡り、
道と言えないほど細く急な道を登って行くことになった。
もともと冒険心の強い三人であったので反対するものはいなかった。
登りきると線路があり、その後はリンゴ畑の中を走った。
そのうちまた国道153号線に出て、すぐ前にあった「セブン・イレブン」で一服した。
その後県道59号線を上り、フルーツラインを北上していった。
途中管理人が『腹が痛い』と言い出し、やむなく上片桐の「セブン・イレブン」で休んだ。
セブンに入った目的が目的だったのでJ.M氏とアシスタントは
店員に胡散臭そうに見られた。
管理人がスッキリしたところで再出発した。
少し行き県道15号線に入り、しばらく進んだ。交通量も次第に増えてきた。
松川町を抜け、飯島町へ入った。二回ほど激しいアップダウンを繰り返したあと
広域農道に入り、急で長い下り坂にさしかかった。
そのとき先頭を走っていたのはアシスタントだった。
『これは最速記録が出せる!』
と思ったアシスタントは勢いよく坂に突進していった・・・・・・
車よりも速いくらいのスピードが出ていた。
そして坂の3分の2くらいになった頃
アシスタントのメーターは・・・60q!!を示していた。
(アシスタントの頭の中)
57,58,59,・・・60!!
よし自己最高更新!でもまだ坂があるしもうちょっと(ブレーキは)我慢しよう。
・・・きたぁあああ 61q!!!
さてそろそろブレーキかけるかな、あっでもあのカーブの手前でかければ間に合うよな・・・
・・・間に合わなかった。
アシスタントは高速でカーブを曲がりきれず転倒、草の茂みに突っ込んだ。
・・・がすぐに起きあがった。そんなに問題なかったようだ。
車の通りが多いので急いで体勢を立て直すと橋を渡り、某公園入り口で休み落ち着いた。
気を取り直し、今度は上り坂を上っていった。
先頭は管理人。こんな事故があったあとだからかすごい勢いで上り始めた。
J.M氏とアシスタントはそのあとをゆっくりと追っていった。
そして大事故が発生した。
なんと管理人の前輪が道路脇の側溝に落ちたのだ。
そして管理人は顔面から側溝のコンクリートにつっこみ
側溝のコンクリートでもろに前歯を3oほど削る大怪我をおってしまった。
赤口だからだろうか・・・二度も立て続けに事故が起こってしまった。
この時以来管理人は赤口、仏滅をたいへん気にするようになった。
竜洋町への旅行も「赤口の日には行かない」と言ってなかなか了承しなかった。
これはとにかく助けを呼ばなくてはならないという管理人は、
「あーあ、事故起こしたな」みたいな目で見ていく車に向かって、手を挙げて携帯電話を貸してもらおうと助けを求めた。
どの車も変な目で見ていくだけで誰も止まってはくれない。
「顔面の恐ろしい痛みと、人の冷酷さと、大いなる屈辱を一度に味わった瞬間だったな。」(後日管理人談)
・・・そのうちに心優しい老夫婦が車を止めてくれて、携帯電話も貸してくれた。
よくは分からないが、どこかにかけていた管理人は、電話が繋がらなかったのだろうか、電話を返した。
礼を言って、「公衆電話を探すぞ」と管理人が言うので、上ってきた坂をチャリで引き返して
さっきの公園に入り、公衆電話をさがした。
公衆電話にたどりついたころにはアシスタント達もことの重大さがわかってきた。
管理人が電話をかけ終え約25分後管理人の父が到着した。
そして管理人は旅行続行をあきらめ、豊丘の歯科医院へ逝って 行ってしまった・・・
(管理人リタイア)
しばらくその公園で休み心を落ち着けたJ.M氏とアシスタントは
また伊那に向かって走り始めた。
そのあとは水田と工場が交互に広がる道を延々と走り続けた。
駒ヶ根市の繁華街の近くになり、J.M氏お奨めのお店に入り
駒ヶ根名物ソースカツ丼をいただいた。やはりカツ丼はソースが良いと思った。
満腹になったところでまた同じような道を走った。
いつの間にか宮田村に入り、抜け、ついに伊那市に入った。
伊那に入ったところは、中心街を見下ろすような段丘の上で
二人は段丘面をうろついていた。
すると白一色に覆われた大地が見えた。
蕎麦の花だった。ちょっと感動した。
短い探検を終え中心街へと下っていった。
中心街に入る少し前に写真撮影をした。
管理人はここまで来られなくてさぞ悔しかっただろう。
さて中心街へ行こうと橋を渡ったが、一本早かったらしい。
伊那市の郊外らしきところに来た。どうやら殿島橋をわたったようだ。
しばらく行くと春富○学校が見えた。
中に入っていこうとしたが、問題が起こりそうだったので結局やめた。
ぐるぐる走り回って、ある畑におじいさんがいたので市役所はどっちか聞いた。
アシスタント:『こんにちは。すみません、市役所はどっちに行ったらいいんでしょうか?』
おじいさん:『ぼくたちどこからきたの?』
・
・ 省略
・
おじいさん:『この道をもっとずぅっと向こうに行ったところだよ。』
アシスタント:『わかりました。ありがとうございました。』
ということでさらに3qほど走り竜東橋を渡った。
少し行き左に折れて遂に市役所前に到着した。
あたりまえだが、我らが故郷のものとは比べものにならない。
その後ベルシ○イン伊那で道草をした。
そこではちょうどJ.M氏の知っている人が出展しているという美術展がひらかれていた。
まだ伊那に着いてから二時間も経っていなかったので名残惜しかったが
二時か三時頃帰ることにした。
帰りはある程度順調だった。
国道153号線をずぅっと飯島町まできた。
念のため数時間前の事故現場は通らないようにしたためだ。
そして飯島町の途中で再び朝来た県道15号線に入った。
しばらく走ったところに「花の里飯島」という道の駅があった。
が、その直前にあったコンビニで休憩をしてしまったので寄らなかった。
今回は寄らなかったが、道の駅はその地域やその駅特有のものがあるので
ちょっと寄ってみるとおもしろい。
だんだん旅の疲れがでてきてペースが落ちてきたころ
ようやく松川町に入り上片桐でフルーツラインに入った。
ここでJ.M氏の提案でこのまま飯田のあたりまでフルーツラインを行き
そこからフルーツラインを下りて適当に喬木に帰ることにした。
それからが長かった・・・
ほんとに長かったので<省略>
時は経ち約一時間後我らはなぜか飯田の市街地にいた。
たぶんJ.M氏がそこのどこかに寄りたいと言ったからだと思う。
こんな長旅のあとにどうしてそんな気になったのか不思議だ。
その用事が済んで『今度こそ家にかえる』と思った頃には
もう陽が沈みきるところだった。
急いで自転車をとばし柳通りを下っている時
またしてもやってしまった。
段差の大きな縁石に(二人とも)猛スピードで突っ込んだ。
無事乗り越えられたかと思った数秒後二人は異変に気づいた。
後輪が重く感じられスピードがでない。
パンクしてしまったのだった。
この時改めて赤口の恐ろしさを思い知らされた。
しょうがないのでとろとろ乗って帰ってきた。
注※自転車を大事にする人はパンクしたら乗らない方が良いと思います。
チューブが駄目になることはもちろん、いろいろ壊れるらしいです。
せめてもの救いは家まで比較的近かったことだ。
やっとの思いで阿島橋を渡り喬木村に生還。
まったくもって危険な旅だったが
とりあえず全員生きて帰って来られた。
めでたしめでたし。
管理人の歯はその後ちゃんと治りました。
長々と読んでいただき本当にありがとうございました。
ほかの旅行記も読んでいただけると嬉しいです。
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