決行日は2003年1月19日(日)。
集合場所は喬木にあるBE-1。
集合時刻は午前9:00だった。
これらの選択が後々大きな後悔を生むことになるとは、この時点では知る由もなかった。
定刻どおりに集合場所を出発した。とりあえずは豊丘村の北端まで行く必要がある。
BE-1のすぐ目の前を通っている広域農道を北に走り続ければ
豊丘村の北端まで到着する。
走り出しは快調。しかし、そのすぐ後に、あることに気がつく。
管理人の自転車(以後:チャリ)のペースと、T・U氏のチャリのペースが
まったく合わないのだ。
管理人の考えは出来るだけ早く行って早く帰ってこようというもだったのだが、T・U氏の考えは正反対で、ゆっくり行って体力を持たそう、というものだったのだ。
何はともあれ、まずは豊丘の北端に到着した。
そこからは県道18号線をただひたすらに北へと行けば、いつかは駒ヶ根に着く。
このルート選択は、危険な国道153号線を避け、安全な県道を行こうという理由だった。
しかし、県道を進み始めてわずか10分後、
激しい下りの坂が見えた。
下りがあれば上りがある。自転車旅行の鉄則だ。
ここで初めてルート選択の甘さに気づいた。
しかし、今は既に下ってしまっている。どちらを向いても上りだ。下った谷のところに、川を挟んで反対側に行く橋が見えるが、それさえも上りの道である。
つまり「前に進むしかない」状況だ。
県道を進み続けた。
中川村に入った頃だと思った。
目の前に現れ始めたのがどう見ても
長く続きそうな上り坂だ。
これが最も記憶に残っている。本当に長かったのだ。
30分は上ったのだろうかという頃、やっと頂上(?)らしきものが見えてきた。
そこからは下りだった。しかし、それも川の流れの向きに反しているのだから、上り始めた地点より標高が高い地点に向かって下っているのであり、普通に考えて、下り坂は短いのだ。
事実そうであった(ような気がする)。
その先、しばらく山と川のふちを走るような、「これが本当に県道か?」と思うような道が続いた。
途中凍っているところがあって、滑った。(真冬だから当然だ)
その道をしばらく行くと「飯島町」という看板が見えた。
中川村の滞在時間が道路の長さの割には長かったので、飯島入りできたことが異様に嬉しかった。
飯島町は、天竜川をはさんだ東側には少しはみ出している程度なので、そこからすぐに「駒ヶ根市」の看板が見えた。
駒ヶ根市につくという目的は、
事実上達成したことになる。
しかし、そこでT・U氏と目的地についての論議が始まった。
T・U氏の言い分が良く分からなかったが、どうやら
伊那市まで行きたいらしい。
しかし彼のペースではそう伊那まで着けるものではない。
まあ、とりあえずは駒ヶ根の中心市街地を目指すことにした。
が、目の前に現れたのはどう見ても山に向かう右に折れる道のみ。
今さっき天竜川を渡る「吉瀬橋」を渡ったので、
天竜川の西側(対岸)に来ていることは確実だ。
T・U氏の持っていた唯一の地図さえ、縮尺が大きすぎて到底分かるものではない。この時点ですでに
11時過ぎ。
しかも、空は
快晴ではない。
曇ってきているのだ。
そういえば天気予報で雪が降るとか何とか言ってたっけ・・・。っておい!やばいぞ!
雪が降ってくる!
焦っても目の前にあるのは謎の道だけ。
近くに来たおっさんに聞いてみたが、この地点から駒ヶ根の中心街に出るにはこの右の道を行くしかないようだ。
戻って天竜川を渡る橋がないこともないが、距離としてはこちらのほうが短いらしい。
これだけはいくら精神的に諦めないとしても物理的に諦めるしかない。
渋々と右の道を登り始めた。
と、数分後、疲れ始めた頃に現れたのが道から少しそれた、
凍った細い道だ。
しかも傾斜が急だ。
これはいい。
一気に上ってしまったほうがいいし、今登っているような道よりもおもしろそうだ。
即決で上り始めた。
しかし、先ほど書いたように、道路の表面は
雪に覆われて凍っている。
なかなか前に進むことができなかった。
そうこうしているうちに上りきることに成功した。
しかし、周りは
見渡す限り田畑しかない。
民家は数軒だ。
こういうときに場所を知る簡単な方法がある。
マンホールを見ることだ。
近くにマンホールがあったので見てみた。
「駒ヶ根市赤穂」と書いてある。
赤穂と言えば中心街のようなものだ。
中心街はそう遠くない。あともう少しだ。
暗黙の了解かどうか、暫定的な目的地は駒ヶ根インターに行く道と、国道153号線の交差点だ。
だが、あの場所が駒ヶ根で一番の市街地なのだろうか。
そうだとすれば、ちょっと寂しい。駒ヶ根の人には悪いが。
さて、中心街に行く方法が分からない。
まあ、西に進めば何とかなるだろう。
そう考えて西に進み始めるが、入り組んでいるために、
何処をどう行けばいいかわからない。
途中休んで考え込んだが、考えたところで知らないものは知らないのだ。どうにもならない。
「人に聞こう。」
それしかない。
早速優しそうな人が住んでそうなイメージの民家を探した。
しかしなかなか外に人がいないし、民家も少ない。
しばらく行くと、やや豪華で、和風の家があった。
当時は今ほどの勇気がなかったのでかなりためらったが、ここで聞くことに決めた。
入っていって玄関を開けてみた。よりいっそう緊張が高まる。
「ごめんくださぁーい!」
やっとのことで声が出た。
そこの家の人が出てきた。受け答えの詳細はまったく覚えていないが、親切にしてくれた。
喬木から来たことを話したら相当驚いていた。
話によると、家の前の道をまっすぐに行くと線路に突き当たるので、それをどこかで渡って少し行けば国道に出る。
そうしたらあとは国道を10分くらい行くと着くらしい。
礼を言って家を去った。
話のとおり、道をまっすぐに行くと
呆気なく線路に着いてしまった。
線路に着いた時点で、左に「伊那福岡駅」が見えた。
・・・って、ここから駒ヶ根まで
あと2駅もあるんじゃん!
伊那福岡→小町屋→駒ヶ根 (
参照地図)
ちなみに、参照地図の一番上にある信号が暫定的な目的地、一番下の駅は伊那福岡駅、線路の左を走るのが国道153号線だ。
ここまで来て引き返すわけにも行かないため、とりあえず進んだ。
やがて、
暫定的な目的地に到着した!
とりあえずは2度目の目的達成だ。
交差点の角にあったコンビニ(サークルK)に立ち寄った後、地図を見た。
見ると、すぐ先に
宮田村との境がある。
アシスタント談では、T・U氏はできる限り遠くを目指したいらしいのだ。
この時点でもまだ
宮田村を越えて伊那市を目的地にしたかったらしいが、時刻は12:30。
15時ごろから雪の予報だったのだから、
早く帰らなければならない。
現実的に考えた結果、すぐ先の
宮田村との境を最終目的地とすることで和解した。
すぐさまチャリに飛び乗り、国道を北へ向かった。
しかし、空を見上げると
雲行きが怪しくなってきている。・・・まさか・・・
そのまさかだった。
数分後に雪が舞い始めたのだ。
「天気予報、はずれてんじゃん。」と思ったが、直後に自分の考えの甘さに気づく。
管理人の見た予報は
飯田市の予報だったのだ!
飯田市と駒ヶ根市の距離は30km以上。
故に、それくらいのズレなどあって当たり前だ。
雪が降り出した状況下でのパニックによってか、そこからの記憶があまりない。
多分、宮田村に到着したのだと思う。
これで
最終目的は達成した。
さて、帰りが問題だ。
今まで来た道を戻ることは不可能だ。縦横無尽に走ってきたためでもあるが、
第一に、寒い雪の中で手が凍えそうなのに地図を広げることなどできそうにない。
そこで
国道153号線をひた走って飯田市まで戻ろうと考えた。
それなら地図を見る必要もない。安心だ。
帰り始めて数十分後。雪の強さが増してきた。
吹雪と化したのだ。
ヘルメットがあるおかげで大部分の雪は目に入ってこないが、体に吹き付ける分の雪はどうしようもない。
しかもまだ駒ヶ根市を脱していないのだ。
だんだんとペースが遅くなる。
・・・飯島町にようやく入った。
このあたりでの時間は覚えていない。
当時中学1年での体力では40km程度が限界だったのかもしれない。
飯島の中心ほどでその40kmだ。
しかも国道には
県道になかったアップダウンがある。
それが更なる体力の消費を招いた。
このあたりの記憶が消えている。
与田切川を渡りしばらく行って中川村に入った。
ちょうどその頃だったと思う。
こちらに向かってゆっくりと近づいてくる車があった。
それはよく見ると管理人宅のワゴンだった。
雪が降ったことで
迎えにきたのだ。
迎えなど頼んだ覚えはなかったが、複雑な気持ちだった。
このまま乗って帰れば完全な目的達成はしたことにならない。
しかし体力は持ちそうにない。体を大事にしたほうがいいかもしれない。
はじめのうちは前者の気持ちが前に出て、乗っていくのを拒んだ。
もちろんT・U氏もである。
しかし、説得されるうちに後者の気持ちが強くなり、残念だが乗っていくことに決めた。
だが、T・U氏はまだ抗っている。
彼はどうしても自分で帰りたいらしいのだ。
その後彼も渋々だが、説得された。
こうして無事家に帰ることができた。
結局体のほうは大したこともなく、風邪もひかずにすんだ。
終
長々と読んでいただき本当にありがとうございました。
ほかの旅行記も読んでいただけると嬉しいです。