英米軍の飛行機の3つの波がドイツのドレスデンを爆撃したその日は、1945年2月13日、春の気配が漂っていると言ってもよい日だった。攻撃の後には、結果として一連の猛烈な火事が起きた。彼らは街の75パーセントを破壊し、35000人以上が殺された。
聖母教会は当初その火事を乗り切ったと思われた。生き残った人々は2月15日の朝、ドームが未だ空にそびえ立っている光景を見て元気づけられたが、結局崩れてがれきになり、建造後200年経って街のスカイラインから消えるのをただ見るという結果になった。
なぜこれは起こったのか?そんな質問が多くの人から出された。それは第二次世界大戦で最も論争を呼んだ空爆の1つであった。その攻撃に参加したパイロットの1人でさえ、「私は何度も神に自分を許してくれるよう頼んだ」と言っているのだ。
歴史家の中には、その攻撃は戦争を終わらせるのに必要ではなかったと言う人もいる。一方で、間違いなくそれは必要だったと言う人もいる。
ドレスデンの市当局は冷戦中、聖母教会を戦争に対する抗議のシンボルとして何年もの間荒廃させたままにした。そのため、1990年に再びドイツが1つの国になってようやく、教会を再建する計画が真面目に議論されたのである。再建は無駄であると主張する人々からの、その計画への反対意見もあった。しかし結局、教会を再建しようとする意志は、それを破壊した火よりも強く燃えたのである。
14326トンのドームをつけて教会を再建する計画は1991年に始まったが、破片の全ピースを慎重に分析する作業には1年以上かかった。実際の再建作業は、元の石材を置くことで1994年5月に始まったのだった。
その計画を実行した会社の主導建築家であるウーリッヒ=R=ショーエンフェルドは、「たくさんのピースがなくなった巨大なジグソーパズルを組み立てているようだった」と言った。「ある時は仕事が楽しく出来て、またある時は苦しみを伴って仕事をした。毎日一方の目で笑い、もう一方の目では泣いていた。」
ドレスデンは電車でベルリンから南に約2時間、プラハから北に約2時間のところにある。「エルベのフィレンツェ」と呼ばれ、その街は重要な文化の中心地と見なされている。
元の教会は、ドレスデンの人々から寄付されたお金で1726年から1743年の間に建てられた。それはプロテスタントの教会建築の最も重要な実例であったと言われている。
再建チームのリーダーであるカールハインツ=シュエッツホールドは「我々はがれき、建物の壊れた破片から始めた」と言った。「我々は全ての破片がどこに当てはまるのかを確実に理解するために、それらを研究しなければならなかった。」
装飾された建物の石材から壁、柱、ドームの破片に至るまで、全部で9286個の石ががれきから回収された。外壁からの7110個の石のうち、たったの3539個だけしか、教会の再建に再使用するに適していると判断されなかった。その他は火であまりにひどく傷んでいたのだ。
「どの石も慎重に番号を付けられて記載された」とショーエンフェルドは言った。「我々は行方不明の石や傷んだ石の場所に使う新しい石を切り出すため、それらがどこのものかを理解しなければならなかったのだ。」
その計画の総費用は2億1700万ドルに達した。世界中から来た人々がその再建計画に寄付したのである。攻撃を指揮したイギリスは、再建のために1億2000万ドル以上を寄付した。ドレスデンに関連するアメリカ人の組織であるフレンズ・オブ・ドレスデンは何百万ドルもの寄付金を集めた。戦争は人々を引き離したが、この計画は彼らを再び結びつけるのを助けたのだ。
その計画のリーダーは再建作業を導くための教会の絵を、不完全な状態の3枚しか持っていなかった。彼らは何千枚もの古い写真、教会当局に保管されていた記録、そして人々の記憶に頼らざるを得なかったのだ。「我々は正面玄関を当時あったように再建したかったが、誰もその彫刻を十分にはっきりと描写出来なかった」とショーエンフェルドは言った。「だから我々は、カップルが結婚式の後に教会の玄関の外でよく写真を撮ることから、教会で結婚式を挙げた人に、自分たちや祖父母のその時の写真を送ってくれるよう頼んだ。」
全ての写真と石の寸法がコンピューターに入力された。コンピューターは、例えば残った部品から推測されるドームの欠落部分を明らかにするような、10000枚以上の詳細なイメージを次々に作り出したのである。コンピューターがなければ、再建は可能でなかっただろう。
2005年10月31日月曜日の午前10時、聖母教会の鐘が街中に鳴り響いた。その式典はドイツのテレビで生放送で伝えられた。教会の外には巨大スクリーンでその儀式を見るために、およそ60000人が押し寄せた。彼らの多くは目に涙を浮かべた。
新しい建物の3分の1以上は、がれきから回収された古く浅黒い石で出来ている。残りは新しい明るい色の石で作り上げられた。それらは合わせて過去と現在のモザイク模様を作り出しており、以後長い間、元の教会が戦争で破壊されたことを思い出させるものとなるだろう。
聖母教会の再建によってドレスデンには最も有名な歴史的建造物が戻り、その歴史を踏まえ、教会はイギリスとドイツの和解の象徴となった。教会のドームの頂上にある金の十字架は、1945年にドレスデンを爆撃したイギリス人パイロットのうちの1人の息子によって作られた。
教会の再建は信じられないほどの奇跡である。それは、人々が暗い過去に生きるのをやめ、努力すれば共に取り組むことが出来ることを示す、愛の活動なのである。新しい明るい色の石が年を経て暗い色になるまでには、世界が住むのにより良い場所になっていることを私達は願う。
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